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2011/09/18

奇跡

降順で読む『世界の向こう』
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夕方6時に会社を出た沢春利は、名古屋駅から賃借アパートに向かう地下鉄電車に乗った。急いで空いている席を取りに向かうのも面倒になり、出入り口に近い辺りのつり革につかまった。

3つ目の駅名を聞いてからしばらくすると、この世に奇跡というものがあるのだろうか、という疑問がふぃに春利 の脳裏に浮かんできた。

日曜日に偶然ネットで観た「秋田のマリア」のことを思い出していた。調べてみると、世界中にあるマリアの像のあるものから涙が流れ落ちたという記事にであった。血が目から流れ落ちたこともあり、あるものは手のひらから血が流れたという。イエス・キリストの場合も載っているが、マリア像からの方が圧倒的 に多かった。

教会の建物内にあるマリヤ像や個人宅の部屋にあるものから流れたということは、キリスト教を信仰している人や関心がある人に訴えているのだろうか。

春利は5歳のときに家を出て行った父・桑田荘太(そうた)のことを思った。両親が離婚して、春利の姓が「桑田」から母が結婚する前の「沢」になったと、春利は後に母・さなえから聞いた。

春利が、父のことを思い出 したのは、荘太がキリスト教関係の大学の神学部を出ていると母から聞いたことを思い出したからだった。カトリックとプロテスタントのおおよその違いについては、高校生のときに知ったが、そのとき春利の頭に残ったのはカトリックの神父は結婚しないが、プロテスタントの牧師は結婚する、くらいのものだった。

だから両親は結婚して春利が生まれたんだと。 そんな曖昧なものだった。

車内アナウンスが、「星が丘」の名を告げ、車内の乗客が立ち上がるのが目に入った時、春利はふと我に返った。

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のあ いちい作
恐竜・ステゴンの家出


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2011/09/26

奇跡

星が丘からアパートまで春利の足で8分ほどだった。

母・さなえと賃貸で暮らしていた横浜の3DKの公団と比べれば1DKは狭かったが、家賃のこともあるし一人で広いところに住むのもさみしいし、いつか結婚したらもう少し広いところへ越せば良いくらいに思った。

だが、大学の工学部を出て、現在の工業用シール剤・接着剤を扱う名古屋の会社へ就職して2年になろうとした時、母がとつぜん心臓病で亡くなった。春利は一人っ子だったが、小学校から大学までそれなりに友達もいた。兄弟はいなくてもそれが普通だと思って育ったから特に兄弟が欲しいとは思わなかった。

ただ、母が亡くなった時に父のことを思った。春利が5歳になったばかりの時に出て行ったという父のことは、母からではなく、母の妹から聞いた。小学校5年生のとき、叔母が春利の家に来て、春利の眼が桑田さんに似ていると母に言っているのを聞き、「父はいつまでここにいたの?」と春利が訊くと、母ではなく叔母のとし子が教えてくれたのだった。それまでは、小学校の低学年の頃には父はいなかったといった漠然としたものだった。

父の桑田荘太が神学部を卒業したということは、春利が高校生になり進路のことでさなえと話しているときに初めて聞いた。さなえは荘太と結婚する前から看護師をしていた。荘太より6歳年上の姉さん女房だった。荘太は身体があまり丈夫ではなかったが、何より稼ぐという意欲が希薄だった。職を転々として決まった収入がなかった。

母には直接訊けなかったが、父が家を出ていったのは、そのことでさなえから責められ居られなくなったのだろう、と春利はいつからか漠然と思うようになっていた。

納豆ごはんと味噌汁にコロッケで夕食をすませた春利は、神様がほんとうにいるとしたら、僕のことを分かっていてくれるのだろうか、とインスタントコーヒーをすすりながら考えた。


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2011/10/03

奇跡

目覚めた時、春利は半ば反射的に置時計に手をやった。不思議な夢を見たような気がするが記憶は遠ざかっていた。と同時に、勤務のことが頭に浮かんだ。

アナログ時計の小さな針が止まっていた。やばい、と携帯電話をつかんで広げた。

画面の左上の小さな数字を見つめたが霞んでいた。しばらくして数字が読めたが、その日は勤労感謝の日で会社は休みだったことを思い出した。

夢のせいだったかもしれない、と思いつつ電気カミソリで髭をそった。パンと牛乳とスーパーで買い置いた野菜サラダですませた。

テレビをつけチャンネルを変えたがすぐ消した。週の半ばで肌寒い日がつづいたので洗濯物もたまっていなかった。

誰かに会いたいと思った。電話よりメールのほうが少し間が持てて良いと思った。

携帯を開くとメールが複数入っていた。迷惑メールの間に見覚えのあるものがあった。

石橋来未からだった。来未とは入社が同期で彼女は短大を卒業して事務職で入社した。春利より2歳年下だったが、同い年か年上にも思えることがあった。

もし予定がないなら、名古屋駅周辺でお茶しないかと言ってきた。朝8時に送信されていた。同期入社ということで、来未とは日頃から気軽に話していた。

来未も賃貸マンションで一人暮らしだし、よければ昼飯を一緒にするのも良いと思い、その旨を記し春利は直ぐに返信した。


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2011/10/12

桑田荘太は、管理事務所前のベンチに手提げ袋を置きとなりに腰掛けた。1時間あまり歩くと手足の痺れもいくぶんやわらいだ。11月後半とはいえ、背中と額にうっすらと汗をかいていた。ベンチの背後には常緑樹の垣根が続いていたが、見上げると月も星も確認できた。

眼の側へ腕時計を近づけた。天から注がれる光と管理事務所前の常夜灯の明かりでアナログ時計の針が確認できた。6時半になるところだった。

桑田は、昨年春に派遣で働いていたネット関連の会社をリストラされた後、10あまりの会社へ履歴書を送ったが、多くは1週間もたたないうちに不採用通知が返送されてきた。3週間たっても何も言ってこないところもあった。新聞や折込募集を見ると、先に履歴書を送るように書かれていたのでその通りにしたが、送るだけでは駄目だと思い、何度か先に電話してみた。

「60までなんです」電話に出た年配女性の声が返ってきた。1日5時間のアルバイトでも駄目か、と受話器を置きながらつぶやいた。

以来、桑田は応募を止めてしまった。ネット関連の会社でパソコンを開きながら電話営業を3年半やった経験から、家で、インターネットで稼げないだろうかと思った。メールで送られてくる情報商材をいくつか購入した。
書かれているようにやってみたが、1円にもならなかった。

わずかな貯金をきりくずしながらの生活が始まった。半年に1回か2回、アフィリエイトで1万とか2万の収入が出た。アンケートで月千円ほど稼げた。パンと牛乳と野菜中心の生活が続いた。生命保険を解約した。テレビも6年前に壊れて以来ラジオだけの生活だったが、インターネットでニュースが読めるので困らなかった。テレビがないのにNHK受信料が引き落とされていることに気づいた。ハガキを送り、受診契約を解除した。毎日届く新聞もネットで読めることが分かり購読を中止した。

猛暑の夏は陽が落ちかけたころ家を出た。血糖値が上がらないよう、雨が降らない日は1時間あまりウォーキングして、帰りに必要最小限の食物を買った。

ベンチの背で静かに身体をそらして天を仰いだ。メガネの度が合わなくなっていたが、ぼやけてはいても輝く星の光は確認できた。

桑田は、ふと足元に目がいった。歩道の常夜灯の明かりが届いていた。


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2011/10/17

ベンチの後ろには大きな桜の古木があったが、桜の開花シーズンを過ぎると忘れられた黒い塊としか映らなかった。

そこから5メートルほど車道に沿って続くなだらかな坂の歩道を上がった所に、ここ1年以内に地上1メートルほどの高さのポールに設置された常夜灯があった。

桑田は買い物帰りに管理事務所前を通った折、あれ、いつの間にできたんだろう、と驚いた。事務所前の広場に、ところどころ穴が掘られていることは見ていたが、そのあたりで続いている水道管の取り換え工事の一環くらいに思っていた。

背後から桑田の足元を照らしているのはその明かりだった。
明りの中の小さな黒い点に桑田は最初ぼんやりと視線を向けていたが、やがてかすかに動くそれをはっきりと認識した。

蟻は一匹だけだった。この季節にいったい何をしているのだろう。働き蟻に違いないが、一匹だけでこの時間に。

桑田はその蟻をみつめた。右に行ったり左に行ったり、非常にゆっくりだった。冬籠りのために、今頃えさを探し回っているのだろうか。

桑田はこの蟻に仕組まれているDNAのことを思った。プログラムされた通りに動いている。蟻には孤独という感情がないのだろうか。

桑田は、さびしいひとり暮らしにも慣れていたが、それでも、妻や息子のことを思い涙を流すことがあった。
一匹だけで自らの使命だけを果たすために動き回っている。何の報酬を期待することもなく、やがて訪れる死の瞬間まで、何の疑問も抱かずにそうやって・・。

歩いている間は暖かかった身体も、膝から下が冷えて痺れてきた。
上のほうから下ってくる足音に、桑田は手提げ袋を引き寄せてゆっくりと立ち上がった。手提げ袋にはスーパーから買ってきたその日の夕食と翌朝の食糧が入っていた。

急いで帰っても誰も待っているわけではないが、そうする以外に方法がなかった。食べなければ、体が弱っていくことは本能的に実感された。


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