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2011年11月

2011/11/05

桑田は10月半ばにダイニングキチンの隣りの部屋にコタツをかけた。

アパートから公団の分譲に越してきた年の冬は、畳の上に大判の敷物を敷きコタツで暖をとった。しかし翌年からコタツをかけるのが面倒になり、量販店でガスファンヒーターを買って来てつけた。コタツは掛け布団や敷物で場所を取るし、座ってあたるよりソファに腰を下ろしてヒーターにあたるのが今風だと思った。
長いことガスファンヒーターで冬を越した。

60になり、リーマンショック後の日本の景気はいっそう悪くなった。派遣社員の仕事も契約満了だと言われて打ち切られた。仕事も見つからず体調も思わしくないとなると、月数万円の年金で暮らしていかなければならなくなった。

ラジオで生活保護を受ける人が増えているというニュースがその日も流れた。桑田は、国民健康保険料金の相談に行きがてら、それについても訊いてみようと思った。

翌週区役所を訪ねてみると、国民健康保険料については、今度の確定申告で、ぐっと安くなると知らされた。そこで生活保護について切り出してみると、別の部署で相談を受け付けるが、今住んでいるところは賃貸かと訊かれた。私有財産があると、生活保護は受けられないと言われた。

ガスファンヒーターは暖かだったが、冬場のガス料金は、風呂とヒーターで毎年ぐっと跳ね上がったことが頭にあった。60を過ぎて頚椎症が出てからは両手の指先が痺れた。両足の膝下はしびれは少なかったが真夏でも冷たかった。コタツを購入しようとネットで検索してみた。桑田の記憶では5年以上前に廃品で処分してしまったような感じがした。何度か押入れを開けてみたが、荷物で埋まっていたが、それらしきものは見当たらなかった。

10月のある日、掃除機をかけたついでに襖を開け押入れの中の埃も吸い取った。一番奥のダンボールの中は何だっけと思い、布団と行李を出し、ダンボールの中を明けてみた。
あった。組み立て式電気コタツのヒーターの部分とコードが入っていた。台の部分は、隣りの部屋にあって本箱とパソコン関係の付属品が置かれていた。

買わずにすんだ。桑田は少しうれしくなった。

夕食を済ませた桑田は隣りの部屋の蛍光灯をつけた。
コタツは、膝を伸ばした状態のままだとパソコンを打つのに疲れるので正座する。しばらく続けると膝だけ熱いので、また膝を伸ばす。腰が痛むので今度は立ち上がる。

ガスで部屋が乾燥するよりこのほうが良い、それに弱くしたり切ったりすれば電気代も安いだろう、と桑田は思う。


To Be Continued

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2011/11/23

レッドストライプ

来未からの返信がすぐ入った。クーポンを持っている店があるからと、昼食を提案してきた。あおなみ線のささしまライブ駅からすぐの所だという。入社して6年たったので、名古屋駅周辺の様子もだいぶ分かっていたが、春利には初めて聞く店だった。


春利は携帯を手にした。来未は事務職だったが、同期での入社だったことが出会いのきっかけだった。最初から何となくフィーリングあったというか、気兼ねしないでものが言えた。東京の短大卒だが、出身は福島県の会津若松だと聞いた。


携帯は2度コールで来未が出た。
来未はそこに一ヶ月ほど前に女友達と行ったので、20%オフのクーポンがあるという。ささしまライブ駅から徒歩3分、名古屋駅からだと歩いて10分ほどかかるという。今から出て昼飯を一緒にするのには、少し早過ぎるかなと時間を確認していると、

「祭日でお店が混むかもしれないから、早めにいった方が良いかも」と来未が言う。

「それじゃあ、僕はこれから出て、名古屋駅から少しおなか減るように歩いていくから、ささしまライブ駅で待ち合わせでどう」と訊くと、それでOKだと来未が応えた。

会社の同期や同僚と食事に行く機会はそれまでにもけっこうあった。来未が一緒のことも5、6回はあったように思うが、二人きりで行ったのは2回だった。

入社した頃は、仕事を覚えることもそれなりに多かったし、ガス抜きもあって、タイミングが合えば、昼食に連れ立って近くの食道へ行くこともときどきあった。

名古屋駅で降りた春利は、ささしまライブ駅の方に向かって歩き出した。一駅だからと思って歩き出したが、4年ほど前に来た頃とは様子が違っていた。横浜から名古屋に来て翌年愛知万博があった。それで名古屋周辺はだいぶ変わったように思う。万博のときは、街のあちこちでソフトクリームを売っていた。

記憶も薄らいでいたが、高架の下をくぐり線路沿いに歩いていった。
長い猛暑がようやく終わったかと思うともう11月も下旬なんだと、クリスマスの飾りつけが始まっているビルを見上げた。


To Be Continued

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