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2012年01月

2012/01/02

フロリダ

桑田は午後1時を回ったとき家を出た。

猛暑を長く引きずり、10月になっても熱いくらいの日があったせいか晴れていたが急に寒くなったように感じた。毎年温暖化が話題に上るが、そうはいっても、12月も半ばだからな、と歩調を速めた。小田急線の駅まで15分はかかる。

町田で乗り換え新横浜で下車した。地下鉄も乗り入れ新幹線の利用客も多いのだろう、反対側の北口へ通じる通路をしばらく行くとどっと人の数が増えた。巨大な駅ビルが建ち、広くきれいな床を行き交う人の群れに身を置くと、海外のどこかの都市に紛れ込んだような錯覚を覚える。

大きなガラスの扉を出て階段を上がり、陸橋を歩き、エレベーターには乗らないでふたたび階段を下りた。車道の両側には商店が並んでいて人の出入りも多い。平行して続く広い歩道を歩いて信号を渡ると、野球場の向こうに円形の日産スタジアムが浮かび上がって見えた。

新横浜公園を抜け、桑田は以前、横浜国際総合競技場と呼ばれていたころにこのあたりを歩いたことを思い出した。アルバイトで、スタジアム内にある大きな会議室の一つで県の雇用促進対策の司会を5日ほど担当したことがあった。失業者が対象で、メインの話は社会保険労務士だったから、桑田ともう一人のバイトは、部屋の準備や受付、それに最初と最後の司会だった。

鳥山川を挟み右手には横浜労災病院と病院の建物群が並んでいる。それにしても、しばらく来なかった間にずいぶんビルが増えた気がする。ウォーキングやジョギング、それに自転車で通り過ぎる人も多かったが、中には桑田をじっと見る高齢者がいた。

桑田は、スタジアムへと続くきれいに舗装された広い歩道を歩いていた。眼下に川を見下ろし、ふと顔を上げると、赤と青のユニフォーム姿の少年たちが左手の広場でサッカーをしているのに気づいた。

機敏にボールを操りながら走り回る少年たちの様子がよく見えるあたりまで行った時、桑田は手すりに両手をかけ、目まぐるしくボールをパスしている赤と青の少年たちを追った。

が、桑田の目はそちらへ向いていたが、思いはいつしか春利のことへ及んでいた。


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2012/01/03

フロリダ

春利と手をつないで公園を歩いた時のことが浮かんだが、その後の成長していく姿は浮かんでこない。
2月1日生まれの春利はすでに28歳で年が明ければ29になる、と桑田は指を折って数えた。今はどこかの会社で働いているだろうか。別れてからは一度も会ったことはないが、よその子供の姿を目にする度に思い出した。

舗装されたなだらかな坂を上ってスタジアムの広い外周路に出た。幅は10メートル余りあるだろうか。東西南北にあるゲートの一つから、桑田が歩いている外周路はエレベーターの4Fの高さと同じだということが分かる。マラソンランナーの格好をした青年が追い越していく。眼下には金網で囲われた先ほどのサッカーの練習場が見える。

左手頭上には観客席の背にあたる部厚い壁が視界を圧迫するように覆っている。
両手を大きく振って歩いていた桑田は、2002 FIFAワールドカップの決勝戦が開催されたときの記念碑の前にさしかかった。日本代表がW杯初勝利を挙げた場所でもあるが、桑田は当時サッカーへの関心は薄かった。

前方に、鶴見川が、その上を横切る新横浜大橋、亀甲橋、少し靄がかかった人家が並んでいるのが見渡せる。空は青い部分が多い。

スタジアムの周囲をめぐる舗装された外周路を歩くことだけに集中しようと思う。

歩くことでエネルギーを消費して血糖値が上がらないように、両手を振って姿勢を正して歩くことで頸椎症が良くなるようにと頭の奥で思っている。

スタート地点に着いた時、12分かかったことを確認した。もう一周まわろうと歩を進める。元妻・さなえのことを思い出す。

さなえが亡くなったことを知ったのは、横浜の団地で上の階に住んでいた旦那の年賀状だった。子供同士が遊び友達だったことがきっかけで父親と親しくなった。電車の運転手をしていたが郷里が栃木だという旦那と気が合い、桑田が家を出てからも年賀状のやり取りだけはしていた。

「桑田さんに知らせて良いものか、あるいは知っているかもしれませんが」と彼が書いてきた賀状を見たのは、さなえが亡くなって2度目の新年だった。


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2012/01/10

愛って

ささしまライブ駅に近いエスニックの店で来未と食事をした後、春利は来未の住む賃貸マンションへ行った。

同じあおなみ線で、ささしまライブ駅から終点の金城ふ頭行きに乗り20分はかからなかった。名古屋駅まで乗車時間は2分だったが、戻って二人で街を歩くと会社の誰かに会う可能性も高まるように思われたし、そのまま別れるのは互いに物足りなくさびしい気持ちだった。

「近いから、私のところへ寄っていく?」

「そうだね、まだ早いし」

来未の住む賃貸マンションは、駅から徒歩で15分あまりかかった。そのあたりに家賃も可能で間取りや環境も好みに合うものがあったからだと来未は言った。
1LDKだが、春利のアパートより広く南側の窓から陽射しが入り明るかった。部屋もよく整理されていてきれいだった。

来未はコーヒーを入れ和菓子を出してくれた。明日は仕事だから適当な時間で帰らなければ、と車中で春利は思っていたが、二人でソファに掛けると急に熱いものが込み上げてきた。来未の視線が受け入れるサインを送ってきた。


翌朝早く星ヶ丘にあるアパートに着いた春利は背広に着替えて再び駅へ向かった。時間はいつもより少し早かったが、胸が高鳴っていた。就職して2年目に会社の同僚に誘われて一度だけ料金を払い女性を買ったことがあったが、楽しくはなかった。そのときは母親が心臓発作で亡くなったことでさみしくなっていたのかもしれなかったが、それまで一度も女性を抱いたことはなかった。

車中、来未と結ばれたことが思い出され胸が熱くなった。後悔する気持ちはなかった。
名古屋駅で地下鉄を降りた時、会社へ向かう来未のことを想像した。来未はどんな気持ちで出社するだろう。


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2012/01/15

愛って

名古屋駅から徒歩10分の所にあるビルの3Fに春利の勤める会社はあった。

タイムカードを押しに春利が事務所に入った時、奥のデスクにすでに来未の姿があった。春利に視線を向けた来未の顔が一瞬ほころんだ。春利も首を少し振って合図を送ったが、胸が熱くなった。

廊下に出て、パーティションで仕切られた部屋のドアを開けると、すでに同僚や後輩たちが席に着いていた。入社して研修期間が終わった後、春利は、営業部でセールスエンジニアとして外回りを始めた。5年して主任になり、会社回りも後輩と同行することも多くなっていた。

午後から出向く会社の担当者とは5日前にアポが取れていた。自動車部品を扱っているその会社の上役の誰かがネット上で調べたのか、春利の会社の製品について詳しく知りたいので一度話を聞きたいというのだった。
春利を呼んでそのことを話したのは課長だった。工業用接着剤の御社の製品の詳しいことを聞きたいという話をもらってすぐ、春利は先方の担当者と連絡を取った。

午前中のミーティング後、春利は後輩を連れ課長と打ち合わせをした。県内で比較的近い場所とは言え、初めての会社だし早めに行った方が良いだろうと、昼食を済ませるために後輩を伴って会社に近い店へ入った。佐野という後輩も工学部を出ていて春利より4つ年下で気心も合っていた。

「課長、自ら行かないで僕らにこの営業を任せたのはどうしてかな」

「それは、沢主任を信頼しているからじゃないですか。この分野に詳しいし・・」

「そうかなあ」

「それにうちの会社、海外にも支店が多いから、課長がちょっと触れていたように、ひょっとすると、主任も・・」

「いや、それはまだ聞いていないから」

確かに、世の中ではリーマン・ショック以来、金融危機だ不況だと言われて久しいが、工業用シール剤・接着剤や塗布装置の開発・製造・ 販売を行っている春利の会社は、中小企業とは言え着実に売り上げを伸ばしていた。

対面営業と提案営業を重んじて推進している社の方針が良いのかもしれない、と春利は思った。海外と言えば、アメリカよりアジアでの成績が伸びていることは、春利もグラフを見て実感していた。

「主任は、結婚はまだですか」

「なんで突然?」

「いや、僕の姉が、一つ年下なんですが、来春結婚するんです。義理の兄になる相手の人は主任と同学年だし」

「あ、そう。年が明けると、2月で僕も29になるけどね、それはおめでとう」

ネクタイに手をやり、春利は来未のことが頭に浮かんだ。その時、ランチを載せたトレイを手に店員がやってきた。


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2012/01/18

愛って

佐野を同行して約束の会社での営業から戻った時、来未はすでに退社していた。

佐野はすぐタイムカードを押して帰り、春利は課長に報告してから名古屋駅に向かった。資料を渡して具体的な話をすると、先方の課長は前向きに検討すると言ってくれた。40代半ばの実直な人柄で悪い感じはしなかった。

春利は夕食は家で作ろうと思った。その時間の地下鉄はいつも通り満員だったが、春利は明るい気持ちになっていた。動き出した車中で立ったまま携帯を開いた。来未からメールが入っていた。

来未の家に泊まり体を寄せ合って朝を迎えたことがよみがえった。

私は先に退社して先ほど家に着いたところだけど、訪問先の会社ではどうだった?
と、言ってきた。

下車して改札を出て人の流れを外した辺りで通話ボタンを押した。
3度コールした時、来未が出た。

「メールありがとう、感触は悪くなかったよ、注文が入ると良いけどね。・・今電車を降りて家に向かっているところ・・」

春利の声は弾んでいた。来未はこれから夕ご飯の準備に入るところだという。一緒に食べることが出来たらいいのにと春利は思う。

じゃあ、また明日ね、と来未が言う。

切ってから、アパートが見える辺りまで歩いて行った時、親父はどうしているのだろう、再婚したのだろうか、まさか死んだということはないだろう。しかし、お母さんの葬式にも顔も出さなかったし、どこにいるかも分からないし、誰も知らせなければ分からなかっただろうし、と、急に今まで意識の奥に押し込んでいたものがふつふつとわきあがってきた。


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2012/01/23

愛って

勤労感謝の日に春利が来未の家に泊まってから、二人は休日に会ったり食事をしたりすることが多くなった。二人が勤める会社は、完全週休2日制だったから、毎週土日と祝日は休みだった。

どちらかが先に携帯にメールを入れ、次に電話することが多かった。
春利は土曜に来未の家に泊まり日曜日の昼に名古屋駅に二人で出かけることがたびたびあったが、会社の誰かに二人でいるところを見られたくなかった。来未にそのことを話し、車内や名古屋駅周辺では少し距離を置くようにした。

「わたし、そんなに急いで結婚しなくても良いと思ってるわ」
来未は賃貸マンションを出て春利と駅に向かって並んで歩き出した。
春利は無言だった。

前回来未の家に来たとき、来未が姉の梨花のことにふれた。3歳年上の姉は4年前に結婚したけど、2年後に離婚したという。

春利は来未といくどもセックスしておきながら、婚約するのにためらいがあった。遊びとして性欲を処理すればいいという考えではではなく、結婚してやっていかれるか不安だった。

とりこし苦労かもしれないが、このまま会社員としてやっていかれるのか、会社もずっと存続するのか、それに両親のこともあった。
来未には春利が幼い時に両親が離婚したことも就職した年に母親が亡くなったことも話していた。

「ごめん、僕が優柔不断だから」

「でも、今はこんな世の中だし、わたし、結婚してすぐ別れるんだったら、籍なんか入れない方が良いと思うわ」

そう言われると、春利はますます自分がいい加減な男に思われ、前方に視線を向けたまま歩を進めていた。


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2012/01/29

クリスマス

クリスマスって今の日本人にとってどういう意味を持っているのだろう。
クリスマス・イヴ、そして桑田荘太は当日を迎えた。

妻のさなえと別れて20余年。職は転々としたが、クリスマスはいつも一人で過ごしてきた。クリスマスだからといってディナーパーティーを催したのは、最後に派遣で勤めた通信会社のコールセンターだけで、それも午後6時半以降の時間だけだった。

桑田の仕事は、客の問い合わせを受けることが中心のセンターで、アウトといってこちらから発信して獲得する電話営業だったから、出席しようと思えばいつでも席を外すことが出来た。

その分とうぜん成果は発生しなくなるが、それより年長の桑田は、若い男性正社員や多くの派遣女性が集うそのフロアへ顔を出す気にならなかった。結局、時間まで仕事をつづけ、その間獲得もできなかったが、フロアには顔を出さないでタイムカードを押して帰った。

それ以外では、デパートの家具売り場でアルバイトをしたとき、仕事が終わってからクリスマスだからと仲間に誘われ、自腹で飲みに行ったことがあった。しかしそれは、クリスマスとは何ら関係のない飲み会だった。

桑田は一人ラジオを聴きながら、妻・さなえと幼い春利の3人で過ごした夜のことを思い出した。荘太が10日ほど前に買ってきた、サンタや長靴やきらきら光るボールを飾り付けた幼児用のもみの木。コンセントを差し込むとツリーの周りの小さなライトが点滅した。丸いケーキにいったんローソクを灯し、荘太が小声で「きよしこの夜」を歌った。

さなえが包丁でケーキを切っている間、神学部を出ている荘太はクリスマスのほんとうの意味を話そうかどうしようか考えた。しかし幼い春利に話してもその場が暗くなるだけかもしれないし、さなえに苦労のかけ通しの身で偉そうなことは言えないと思い話さなかった。

さなえは、春利と荘太に切り分けたケーキを皿にのせて配り、最後に自分のものを切り取った。


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