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2012年09月

2012/09/01

上海へ

翌朝春利は6時前に目覚めた。春利は来未と会って話そうと電話を切ったが、その後のメールの流れから会わない方が自然に思われた。

食パンにチーズを載せて焼き、牛乳と生野菜にドレッシングをかけて朝食をすました。上海に行ってから中国語を始めるのでは遅いという思いが頭をもたげていた。焦りを感じた。

とりあえず、中国全土で通じると聞く北京語をすぐ始めようと思った。会話が出来ないと現地の中国人相手に仕事ができない。

名古屋駅の周辺にはたくさん書店があることは知っていたが、中国語の学習専用となるとどこかなとパソコンで検索してみた。率直な感想を書いているレビューにであい、そこにしようと思った。

大きな書店の開店は午前10時で充分時間があった。ネット上で中国語をアップしているところを調べてみた。

中国語とローマ字表記のある会話サイトが見つかった。矢印ボタンをクリックすると音声が流れた。分かりやすかった。

上向いた気持ちでアパートを出ると、春利は地下鉄駅へ向かった。

ジェイアール名古屋タカシマヤは、名古屋で下車して1分もかからない。タイミングよく開店したところだった。
目当ての書店は11階だった。

種類も豊富だったが、ラジオ講座のテキストと実用中国語の基礎編を購入した。上海の会社の講師がテキストも案内してくれるだろうからと2冊だけにしておいた。CDも付いていたので気持ちがはずんだ。


To Be Continued

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2012/09/05

おせち料理

桑田荘太が目覚めたのは、朝の9時過ぎだった。目覚めたといっても3度目だった。

齢とともに夜トイレに起きる回数が増えたと言えば前立腺肥大症だとすぐ言われそうだが、桑田は子供のころから神経過敏でトイレも近かった。10年ほど前に病院で点滴しながら検査してもらったが異常ないと言われた。寝る前の水分量もだが、精神状態が大いに関係するのだと自らに言い聞かせていた。それで最近は、過敏性膀胱か過活動膀胱ではないかと自己診断している。

起きながら、会社に勤務しているわけではないから、気にするな、と内心でつぶやく。カーテンを開けると眩いばかりの陽が射している。

ダイニングに行き冷蔵庫を開けた。年が明け4日の夕方スーパーで買ってきた平べったいプラスチックの容器を冷蔵庫から出した。おせち料理の残りがころがっていた。ニンジンやシイタケは子供のころは好きでなかったが、齢とって好きになった。トースターでパンを焼き、オレンジジャムをのばし、温めた牛乳をゆっくりと口に運んだ。

と、その時、電源を入れたままにしておいた炬燵の上のノートパソコンがうなりだした。

急いでヘッドフォンをつけコードの先をパソコンに差し込もうとしたが、うまく入らなかった。ハローという声が遠くで聞こえる。

「遅くなったけど、あけましておめでとうございます。サト子です。お元気でしたか?」

「ええ、元気ですよ。そう言えば、元旦に留守録入ってましたね」桑田が寝ている間に、フロリダがまだ新年になる前に、日本が新年を迎えたことを確認して頃合いをみてかけてきたに違いなかった。

桑田は、いつも留守番電話に設定しているが、最近は高齢者を狙った詐欺が多いので、そうするようにとの電話が警察関連のセンターからも月に一度ほど案内がある。

「わたし、ロバートとニューヨークへ行って来たのよ。寒かった」

そういえば、前回スカイプで話した時、年末に同居しているロバートとニューヨークへ行ってくると言っていたことを思い出した。

「サト子さんとこは、日本の沖縄より少し南だから普段暖かいでしょう」ビデオ設定で話しているパソコン画面のサト子は半袖姿だ。桑田は右下に小さく映っているが、長袖の上にカーディガンを羽織っている。

話がむかしのことに及び長引来そうなので、桑田が途中で大丈夫かと訊くと、明日は休みだからという。ロバートはどうしているのかと訊くと、パソコンの研修に行っていて帰りは遅いのだという。なんでも新しい職場でパソコンでの操作が出来ないといけないので、このところずっと研修が続いているのだという。

20:45、とフロリダ時間が桑田のパソコン画面の上に表示されている。
1時間半も話したからまたにしよう、と桑田が言った。3度目だった。

See you again.

See you.


日本を嫌い、フロリダへ職を求めて渡ったことが、サト子にとっては良かったのだろうか。
パソコンを閉じ、桑田は食事中だったことを思い出した。


To Be Continued

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2012/09/07

おせち料理

食卓に戻った桑田は、プラスチックの器に飛びとびに残っているおせちに目をやった。

子供のころは黄色くて甘い伊達巻や卵が好きだった。ニシンは好きだったが、魚卵の数の子は塩味が強かったせいか好きではなかった。

黒豆や昆布巻も好きではなかったことを思い出した。エビはどちらかといったら好きな部類だったろうか。

子供のころは好きだった栗きんとんが器の隅に残っていた。50歳を過ぎ、糖尿病と病名が付いた頃から甘いものを控えるようになった。50代後半ではきらうようになっていた。食事に気を付け、進んでウォーキングをするようになってから血糖値も基準値に戻った。

8歳の時、長いこと植物状態で伏していた母が亡くなってから天ぷらがきらいになったことを思い出した。ショックからじわじわと胃腸の具合が悪くなり天ぷらの脂気が合わなかったのだ。田舎の葬式では必ず天ぷらが用意され、その後の食事には天ぷらが続いた。

その後の盆や正月には父親の兄弟がやってきた。父の上には3人の姉、一人は早く亡くなったが下には4人の弟がいた。9人兄弟だった。伯母たちは本家に来ると、「そうちゃん」とよく声をかけてくれたことを思い出す。

残りのおせちをもったいないと思いすべて食べた。明後日の10日は荘太の誕生日だった。一人息子の春利のことが浮かんできた。指を折ってみて、2月3日で29歳になるな、と心で呟いた。

どうしているだろう。名古屋で働いているとだけは聞いたが、今でも名古屋にいるのだろうか。
ネットで調べたら何か手がかりがつかめるかもしれない。SNSの中には本名で登録するものもあるから、ひょっとしてという期待がわいてきた。

別れた妻・さなえの結婚する前の姓と息子の名を入力した。

ピタリのものも可能性を感じるものも出てこなかった。TwitterやFacebookを加えて検索してみたが、それらしいものはなかった。次のページに行ってみると出てきたが、運勢や姓名判断だった。

もしやとは思ったが、姓を桑田に替えて検索してみた。同姓同名が現れたが、それだけで詳細リンクはなかった。
メールアドレスがあれば、ダメ元で問い合わせてみようと思った。


To Be Continued

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2012/09/08

初めての上海

春利の転勤先の上海支店は、上海浦東新区福山路のビルの9階だった。ビルのある辺りは化学関係の日系企業が進出しているエリアだったから、通りを歩いていると日本語が聞こえてくることがあった。

2月からの上海勤務ということだったが、パスポート取得の手続きとかアパートを引き払って引っ越す準備もあり、あっという間に時間が過ぎていった。1月下旬には、アパート探しと準備期間ということで一度上海に行くようにと課長に言われた。現地の会社の人間が用意してくれるだろうぐらいに思っていたが、「君の好みもあるだろうから」との上司の配慮だった。

アパートは、支店長がいくつか候補をあげてくれ、現地の日本語が出来る不動産会社の人が車で案内してくれた。
上海の不動産会社は玉石混交で、手数料もサービスも賃料によっても時期によっても担当によっても違うなどということをネットで読んでいた春利は、中国語のできない自分が一人でやるとなると不安で仕方ないだろうと思った。言葉も右も左も分からない相手を騙そうと思えば簡単に出来てしまう。

アパート候補を回ってくれた日本語のできる不動産屋の年配男性は、黄浦江の対岸を指さし、20世紀初期に建てられた西洋建築が並び立つ外灘のことを教えてくれた。最後の候補が、中山公園駅からすぐの所にある公寓だという。車だと浦東から外灘方向に、南浦大橋を渡っていく。

春利は、最後に行った中山公園駅から徒歩で4分位のところのアパートに決めた。高層ビルの中層にあたる2LDKだった。住宅手当や訪問客のことを考慮し、2001年築だというが、そこが妥当だと思った。世紀大道駅の近くにある会社までは、地下鉄2号線で乗り換えなしで行くことができる。途中、川幅平均400mほどある黄浦江をトンネルで越えていく。

上海支店での中国語の習得は週2回、会社の勤務時間が終わってから2時間のレッスンだった。講師は張虹(チャン ホン)という春利より2歳年上の女性だった。彼女はいくつかの大学に留学経験があり、日本語のほかに英語も堪能だと聞いた。

フロアの日本人は支店長の宮里徹だけで、春利に中国語を教えてくれる張虹のほかに3人の中国人がいた。支店長は片言の中国語は出来るが商談にはならない。それで、日中の言葉を自由に操る張虹がいつも同行する。

販売商品の内容に詳しく中国語が出来る人材。春利は自らの求められている立ち位置を実感した。
日本のホテルのフロアで盛大に壮行会をやってくれた会社の同僚の顔が思い出された。彼らに連絡を取ろうと思えば電話やメールで出来るが、上海の地に来てみてやはり距離を感じた。

中国語のレッスンを終え、世紀大道駅に着いた春利は、小銭入れから元玉を取り出した。日本とは違い先ず行き先までの料金のボタンを押してから小銭を入れる。その都度面倒だからそろそろ50元のプリペイドカードを買おうかなと思いながら入れる。

中国語が聞こえる2号線の超混雑した車内に立つと、壮行会の会場にいた来未の顔が浮かんできた。


To Be Continued

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2012/09/14

初めての上海

日本や香港支店からの電話でも、支店長が席を外している時だけ春利が出るよう合図された。中国人のスタッフは、春利と同じか春利より若く、張 虹(チャン ホン)を除いては片言の日本語しか出来なかった。現地の会社相手の電話は支店長の指示で張 虹(チャン ホン)がすべて受け持っていた。

日本語で届くファックスやメールは、支店長の指示を仰ぎながら春利が出来るものもあったが、電話が鳴るたびに、春利は早く中国語で対応できるようになりたいと気が急いた。支店長と張虹に同行して中国人が経営する会社を訪問することもあった。


上海に来てすでに1ヶ月になろうとしていた。
中山公園駅からすぐの公寓(アパート)に着いた春利は、手を洗い窓のカーテンを閉めて回った。午後10時になるところだった。15階の窓の向こうに同じような高層建造物のライトが目に入った。

名古屋のアパートに比べるとずいぶん広かった。2LDKだが、98㎡で月8500元だった。不安もあったが、手当が付いたので気持ちも少し大きくなった。

週2回、勤務後、中国語のレッスンを終え、会社に近いところにある中華料理店で食事をして帰ると10時を回ることもあった。来たばかりの時に支店長がいくつか店を案内してくれた。日本料理店もあったが、中華も嫌いではなかった。一食50元を目標にしていて、高くても80元(1000円)以内でと思っていたが、超えることもあった。中国語が出来なくてもメニューを指さし、済んだら料金を払えば良かった。

リビングルームのソファに腰を下ろした。この賃貸公寓には、春利が入居する前に必要最小限の家具が用意されていたので助かった。春利はベージュのソファがきらいではなかった。

来未に連絡しようと思った。

上海へ来て、春利が携帯から1度固定から2度電話し、来未から部屋の固定電話に2度電話が入った。日本との時差は中国が1時間遅れだった。

電話が長くなるので料金が気になりメールを入れてみることにした。向こうは夜の9時過ぎだから、風呂に入っているかもしれない。いずれにせよメールならと思った。

長めの文だとパソコンからの方が良いと思った。部屋を決めた日に不動産の人に連絡を取ってもらったが、パソコンの設定はすんだばかりだった。

風呂に湯をはりに立った。浴槽は春利がこの公寓に越してきてから寝室にしている奥のベッドのある部屋の側にもあったが、玄関そばにある方が洗い場も広いのでそちらを利用した。

戻ってきてメール画面を開いた。
うまく届くかな、と思いつつ頭に浮かんでくる思いを整理しながら入力した。


To Be Continued

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