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2013年08月

2013/08/01

福島からの手紙

来未の両親が会津若松からいわき市久ノ浜へ転居したこと、来未が地震が起きた時期に帰省したことで3人ともおそらく地震後の大津波に飲み込まれてしまったことを思うと、春利自身にも何か責任があるような罪悪感を覚えた。

来未が上海に来ていれば行方不明にはならなかった。レギンスが良く似合った来未の姿が浮かんできた。二人が互いの目を見つめあった瞬間。

来未と急いで結婚することにブレーキをかけたのは、経済的な自信のなさだけだろうか。両親が最後まで連れ添わなかったから、自分はそうでない人生を送りたい。そうした思いが逆に決断を先延ばしにしたのだろうか。母が病気で亡くなったことはどうにもならないことだったけれど、父はどこかにいるという漠然とした期待がある。

春利の脳裏に、自らの人生は奪い取られるように仕組まれているのだろうか、という思いがよぎった。

立ち上がり、居間のカーテンを少し開けた。公寓の15階の窓の向こうには別の公寓の灯りが並んで見える。真下を走る車のライトがゆっくりと移動していく。

なぜかテレビを点ける気が起きない。明日の仕事のためにも風呂には入らなくてはと浴室へ向かった。

生きて行くためには会社を辞めるわけにはいかないと思う。このまま上海でやっていかれるだろうか。来未がどうなったかは分からないが、連絡が取れなくなって一か月以上になることは確かな事実だった。

再度手紙を手に取り、来未の姉の連絡場所を確認した。電話をかけても、相手が出たらなんと言ったらいいか分からない。急に激しい衝撃が腹の底からこみ上げてきた。涙が頬を伝っている。

「奪われる人生・・」

それにしても、来未の姉・梨花に連絡をしなければ。
春利は寝室に利用している部屋に行き、小机の引出しから便箋を取り出した。


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2013/08/08

夜桜

桑田の住まいの団地から20分余り歩くと、小田急線に並行して流れる麻生川に出た。線路の向こうに渡ると麻生川の川沿いに両岸約1kmに渡り桜並木が続いている。

桑田の桜に対する思いは年ごと変わっていた。

子供の頃の桜の記憶は、生家の坪庭でも道側にある一本の桜の木だった。坪庭には苔が生えた大石があり、イヌツゲや紅葉と松の古木、それにツツジとシダ類が坪庭全体に広がっていたが、部屋の廊下から見る右手の閉じられた門からつづくそこは、湿気を帯びて静まり返っていた。

桑田が8歳のとき、脳出血で臥したきりだった母が亡くなったことから、桑田が気づかないうちに植えられた桜の木に花が咲いたのを見て、場違いの別世界が現れたように思われた。

新横浜に出かけて見る桜は、桜目当てではなかった。幼い春利との記憶が桑田をその辺りへと誘っていった。

この年は、震災のダメージが大きく、桜のニュースは後ろへ追いやられていたが、ウォーキングがてら見られる近場の桜を、と思いつつ、陽が落ちたころを見計らって桑田は家を出たのだった。

ライトアップもなくなっていたが、前年より、開花が一週間ほど遅れたことから、散り始めたところもあったが、最後の見ごろとも言えた。

桑田は、ほの暗くなった川沿いの道をゆっくりと歩いて行った。前方からやってくる若い男女が携帯のデジカメをそろって桜の方に向けている。


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2013/08/12

夜桜

若い男女とすれ違い、しばらく行くと、両手に荷物を下げた70代後半と思われる女性が、桜の木から離れたがわの道の端にどこを見るともなく立っていた。心臓の具合でも悪いのか、それとも帰り道を忘れてしまったのか、などと思いつつ桑田は通り過ぎた。10メートル近く離れてから再び振り返ってみたが、まだ動こうとしない。

立ち止って見ていると、やがてゆっくりと歩き出した。よく見ると、荷物を持った手の先には黒っぽい杖をついていた。膝か腰か痛いのかもしれない。高齢になると歩きつづけるのも大変なのだと、郷里の道で数メートル歩いては石垣に腰掛けていた近所のおばあさんのことが浮かんできた。

桜並木は続いている。辺りは暗くなっていたが、周囲の住宅からの明りが届いていた。今年もこれで桜も最後か、と震災で桜の話題も盛り上がらなかったことを思った。福島原発の放射能も思いのほか他県にも広がっているに違いない、とネット上での動画を思い出した。

と、桑田は数メートル先の桜の木の下に30前と思われる女性が立っているのに気付いた。8時前だったから、そんなに遅くはなかったが、大きな桜の木の下で、花を眺めるというよりは物思いにでもふけっているような様子でもあった。

近づいた桑田が彼女に目をやると、少し頭を下げ、何か言いたげにも見えるが、初めて出会う見知らぬ女性に声をかけるのもはばかられた。

桑田も軽く会釈して通り過ぎようとしたが、相手はどこかで会ったことがある人だろうか、こちらが忘れているだけなのか、という思いがこみ上げてきた。

「あのう・・」と振り返った桑田は言ったつもりだったが、相手に聞こえるほどの声には達していなかった。桑田はちょっと太めのミルキーホワイトのズボンに、茶色のスタンドカラーシャツの上に同じようなミルキーホワイト系のカジュアルジャンパー姿だったが、その女性はレギンスに上は濃いグリーン系の長袖カラーシャツ姿だった。

相手の視線は桑田の方に向けられていたが、何も言わずにふたたび会釈する姿勢を取っていた。
桑田には記憶にない人だったが、他人の空似ということもあるから、私が誰かに似ていたのかも。そう自らに言い聞かせて桑田は振り向かないように意識して歩いて行った。


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2013/08/23

石橋梨花と

春利が帰国したのは、7月に入ってからだった。2月から上海勤務が始まり、初めての5日間の休暇だった。

上海勤務に発つ前、名古屋の星ヶ丘のアパートを引き払い、都内に住んでいる母の妹・とし子の家を連絡先にした。

上海の浦東(プードン)空港の待合室には日本語を話す旅行客のグループがいて、親せきに会ったような親しみを感じた。狭い機内では、時おり日本語と中国語が飛びかっていた。

成田空港に着いた時、春利は心のどこかで父の存在を追っていた。兄弟もなくほとんど母子家庭で育ち、すでに母が亡くなってしまった現在、降り立ったところが、名古屋でなく成田であることが余計そのような思いを募らせたのかもしれなかった。

その日は都内の叔母の家に泊まることになっていた。
中央線で下車した春利が叔母の家に着いた時、午後3時を回っていた。2人のいとこは、姉は結婚して金沢に住んでいて、会社で機械設計をしている弟はデトロイトに出張していた。

夕食を一緒にと待っていた叔母・とし子の夫が夕方7時頃帰宅した。日本の7月はこんなに明るかったんだと、春利は改めて感動した。とし子の夫は物静かな人で、都内の私立大学で美術の准教授をしているという。夏休みが近いので学期末試験の準備があると言っていたが、今日は春利に会うのを楽しみにしていたと言ってくれた。

夕食後、「そうそう」と叔母が春利宛に届いているという郵便物を持って来た。
偶然にも、県立高校と大学の同窓会名簿が届いていた。

翌日は、東京駅で来未の姉・石橋梨花と会うことになっていた。


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2013/08/25

石橋梨花と

春利が目覚めたのは8時過ぎだった。上海では休みの日以外はこのところ6時には起きていた。
疲れがたまっていたんだとつぶやいた。叔母の家であることと叔母の夫が良い人だったことで安心してゆっくり休めたのかもしれなかった。

朝食の用意も出来ている、と叔母が言った。叔母の夫は、もう出かけたという。月曜日だったことを思い出した。

9時過ぎには家を出るが、夜は泊めてもらうことになっていた。叔母には来未のことも、これから誰と会うかも知らせてなかった。

石橋梨花との約束は、11時に東京駅「銀の鈴」前で会うことになっていた。

春利は、福島から届いた梨花からの手紙を読み、二日後に上海から福島の住所に手紙を出した。手紙の最後に、メールアドレスと電話番号を記したが、日本と上海間ではメールの方がベターかも、と付記した。

10日余りたったとき、梨花からメールが入った。国内だったら休みを利用して適当な場所ですぐに会うこともできたかもしれなかったが、そうもいかなかった。

メールで、「銀の鈴」で11時を提案してきたのは、梨花の方だった。震災後の交通事情がどうなっているのかは春利にはまったく分からなかった。

春利は中野の叔母の家を出ると、JR中野駅へ向かった。駅までは徒歩で10分ほどだった。

東京駅地下一階ですぐ分かると思う、というメールの文が春利の頭をめぐっていた。

電車はすぐに来た。5か月前上海に発つとき日本の携帯電話は解約したので、今回日本国内で使うため上海でプリペイドケータイを購入した。メールで梨花の携帯番号は訊いてあった。乗客はほとんど日本人。ここは日本なんだ、と自らに念をおした。


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2013/08/27

石橋梨花と

春利が東京駅に着いた時、10時を過ぎたところだった。11時だから大丈夫、と自らに念を押したが不安だった。東京駅を利用したことはあったが、地下一階に行ったことはなかった。

階段を下りて中央通路に出た。上海でのネット検索では、八重洲口に近いとあった。地下中央通路を少し歩くと、
「銀の鈴待ち合わせ場所」の案内が目についた。まもなく、透明な四角柱の中に天井から下げられている大きな鈴が目に入った。3月11日の午後3時ころ、ここも揺れたのだろう、来未はこの駅を通って、と春利は思った。

最初気づかなかったが、すぐ後方に待合せ用の椅子が並んでいて、20人ほどの人が掛けていた。春利はしばらくそちらを見ていたが、空いているイスの一つに腰掛けた。視線はおのずと「銀の鈴」の方へ向いた。

「銀の鈴」の前に現れしばらく見回してからどこかへ立ち去る人がいるかと思えば、その場に数分立っている人、少し離れて携帯を耳に当てる人、しばらく立っていたが春利が掛けている方へやってくる人。月曜のその時間でも意外と多くの人が待合わせている。

梨花が時間より前に現れるかちょうど位にやってくるかは分からなかったが、互いの画像はメールの添付ファイルで送られていたし、春利の方は梨花の携帯番号も控えていたから、予定時間に現れなければプリペイドケータイで電話しようと思った。

春利はたびたび腕時計に目をやったが、11時10分前を確認した直後、透明な四角柱のカバーの方へ近づいてくる女性の姿に気づいた。

女性はちらっと腕時計に視線を向け、「銀の鈴」の透明なカバーの脇に立った。白のシフォンパフスリーブ半袖ブラウスにチャコールのスカート姿。背丈は1メートル60くらいだった。


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2013/08/30

石橋梨花と

春利は、最初衣服の方に目がいったが、その女性の横顔がほぼ全体として確認できる位置に来た時、待合席からでも梨花に間違いないという確信が得られた。それは、添付ファイルの画像からとも言えたが、メールで5、6回やり取りするうちに、梨花は来未より三つ年上だが春利とは同学年で、梨花が半年余り姉になるということが分かったことや、全体の雰囲気がどことなく来未と似ていたことからだった。

春利が立ちあがった時、その女性の視線が春利の方に向けられた。

「沢さんですね」歩み寄ってきた女性の方が先に口を開いた。

「はい、沢です、初めまして」

「石橋です。お待たせしました」

「いえ、まだ11時少し前ですから。どこか近い所で、食事でもしながらが良いでしょうか」

「そうですね、歩き回ると暑いですから、適当なお店があると良いのですが」

「僕もこの辺りは不案内ですから、向こうに案内カウンターがあったからちょっと聞いてみましょう」

カウンターの女性は構内の案内板を示してレストランのある場所を示した。春利は八重洲の改札口を出ればどうかも参考に聞いたが、暑い中分からない所を探して歩き回るより、やはり構内で早めに席を確保した方がいいだろうと梨花に相談した。

二人は、駅構内のノースコートで食堂車をイメージする日本食堂で妥協することにした。春利は、席があいていれば話しが出来るからどこでもいいとはいえ、上海で食べる機会が多い中華料理は避けたかった。梨花は、パン食があるからと食堂車のイメージも飲んでくれた。


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