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2013年10月

2013/10/02

石和温泉にて

久の運転する軽自動車で窓を開けて走り、しばらくすると、武家屋敷のようながっしりした門が目に入った。

車を降りた桑田は、ハンカチで額の汗をぬぐいながら久の後から歩いて行った。

八田御朱印公園という文字が書かれている。

武田信玄に仕えた武士の屋敷跡だと久が言う。石垣と小さな壕があり、公園には石が並べられている。数人の男女が何か話しながら歩いていたが、その時間はほかに人影はなかった。

車に戻ると、久が自動販売機で買ってきた缶ジュースを渡してくれた。会えてよかったと桑田は思った。

車が駅へ向かって走り出し、桑田は助手席でそれを口に運んだ。社事大に行きたかったと寮内の部屋で久が言ったことを思い出した。
復学した桑田が、授業に出て来なくなった久の部屋のドアが開いている日に中を覗いたことがあった。室内は油絵具の鼻を突く臭いで充満していた。人の気配がなかったので中を覗くと、ベッドの上には掛布団や脱ぎ捨てたシャツなどがくしゃくしゃになっていて、壁にはモジリアニの描いたような首の長い女性の絵が掛かっていた。バイトした金で画材を買っているのだろうと桑田は思った。今でも絵を描いている、と先ほどの店で久がポツリと言った。

桑田が川崎の団地に戻った時、8時を回っていた。シャワーを浴びてきてしばらくすると、ドットフォンが鳴った。

「ハロー・・」フロリダのサト子からだった。

「そちらは?」

「朝の7時過ぎよ。今日は休みだもん」
そう言えばこちらは7月最初の土曜の夜で、サト子の方は同じ日の朝だった。桑田は、電話代が大変だから、スカイプで掛け直すと言った。

ヘッドフォンをして、パソコンのスカイプで5回コールした時、サト子の声が返ってきた。

今度は、ロバートと相談して猫を飼うことになったという。ラグドールだと。そう言えば、以前飼っていた犬は亡くなったと聞いたことを思い出した。


To Be Continued

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2013/10/05

石和温泉にて

「700ドルだったわ。もう手続きしてきたの」

「お金がかかって大変だね」言いながら桑田は、子供がいないとさみしいとサト子が以前漏らしたことを思い出す。また、いつも会っているノラ猫ではなく、子供の頃生家で飼っていた雌猫が背中に腫物が出来、その地域に動物病院らしきものもなかったが、当時家が貧しかったこともあり、獣医に診てもらうこともなく死んでいった猫の顔が浮かんできた。

「ブルーアイで、大きくなるのよね。その子に子供をつくると、別に費用が掛かるし、だって、そんなに長くめんどうみられないからつくらないことにした。それで、不妊の手術も」

「不妊の手術って、雌なの?」

「雌よ」

「雌だとネコちゃんも、手術が大変でかわいそうだね」

「でも、仕方ないわ。それで、1歳になる前の発情期前に手術した方が良いって。・・予防注射とかもしなくちゃいけないし」

「ロバートは飼うことオッケーしたの?」

「私より彼の方が猫好きよ。私は犬の方が好きなのよ。もう、来週連れて来るのよ」

「猫もかわいいよ。目を見てしっかり話しかけると、ちゃんと応えてくれるからね。・・じゃあ、先ず名前を付けて、トイレの躾けもしないとね。もう、名前決めたの?」

「まだよ。ロバートは、ネコ、で良いっていうけど」

「アハハ、それではね」

「何か良い名前ある?」

「じゃあ、考えてみるよ」


To Be Continued

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2013/10/23

深い森

来未と春海は深緑におおわれた森の中にいた。

「くみ、すごかったね」

「うん、すごかった」

「東京の短大を出てからずっと会っていなかったから、春海のお店ですっかり話し込んで・・」

「そうねえ、あの時だった、来未が、地震って叫んで」

「何が起こったのか・・」

「わたしたち、海の中で手を握り合っていた」

「わたしも、そこまで憶えているけれど」

「はるみも? わたしも、それからのこと覚えていない」

「くみ、ここ、どこだろう?」

「森みたいだけど、分からない」

「でも、ここ、ずっとむかし、来たことがあるような」

「はるみも、わたしもそんな感じが。それに、とても気持ちが落ち着くわ」

「ほんとうに。ほんとうは、ここにいるはずだったような場所に思えるわ」

「そうね。はるみと一緒で良かったわ」

「わたしも」


To Be Continued

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2013/10/27

深い森

「ああ、向こうから誰かやってくる」

来未は、春海が顔を向けた方を見た。

「ほんとうだ」

二人は鳥居の向こうに現れた男女に目をやった。

来未と春海は深緑におおわれた森の中を若い男女がやってくる方へ身体を移動していた。

「はるみ、ここはどこ?」

「わからない。わたし、来未と短大で一緒だったこと。地震が来たこと。来未と海の中で手をつないでいたことのほか、分からない」

「春海、私も」

「来未、あの二人、私たちのこと気づかないみたい」

「ほんとうに」

若い男女は、二人並んで手水舎(ちょうずや・てみずや)に行き、柄杓(ひしゃく)で手をきよめている。

「わたし・・」

「わたしも・・」

来未と春海はいつかどこかで見たことがあるような情景に思えたが、それ以上は何も分からなかった。


To Be Continued

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