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2014年02月

2014/02/01

シャンハイの秋

春利は、生まれ育った横浜や仕事でいた名古屋でも梅雨どきを体験したが、上海へ行っても6月中旬から7月上旬は梅雨の季節で長雨が続いた。8月終わりくらいから9月中頃までは台風が多く、突然の暴風雨に襲われることがあった。

春利は10月半ば過ぎの日曜日に久しぶりに上海中山公園へ行った。

張 虹(チャン ホン)から受ける職場での中国語の個人レッスンは半年で終わったが、ビジネス現場で話す中国語も充分とは言えないまでもそれなりに通用するレベルに達していた。職場の中国人とも積極的に話すよう努めたから、現地の会社訪問で中国人と話すことも恐くはなくなった。

日本での会社勤務も生きるための仕事としてやるしかなかったが、気持ちが通じる職場仲間もいたから、励みもあった。上海へ転勤し、日本語だけで話す相手は支店長だけになった。日本語が流暢に話せる張 虹(チャン ホン)が職場にいることで、こういう時は中国語でどう言えば良いかが直接訊けた。有難い存在だった。

日本の夏が終わった頃も上海では暑い日が続いたが、住まいからすぐの所にある上海中山公園へは入らなかった。毎日そばを歩いて通勤していたのだが。

辺りには金木犀の香りが漂っていた。日本のように澄み渡った空ではないが、上空には雲もなかった。
春利は、来未のことを思っていた。あれは数か月前の土曜日だった。葉桜の林で、白い光に包まれた女性が現れた。レギンスに上はグリーン系の長袖カラーシャツ姿だった。夢なんかじゃない。間違いなく、来未ともう一人の女性が現れた。

ああ僕は・・。来未は津波にのまれた。そう、あの地震で。一緒にいた女性は、来未の友達にちがいない。彼女も地震の津波にのまれてしまったのだろうか。僕は、こうした生き方しかできなかった。来未が上海に来ていれば、地震に遭うこともなかったのに。

ふと気づくと、春利は桜林の前にいた。足元には朽ちた葉が積り、木の枝には枯葉があちこちにぶら下がっていた。

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2014/02/05

シャンハイの秋

11月に入った。

来未の姉・梨花からは東京で会った前後を過ぎると何も言って来なかった。ニュースは、会社へ出かける前と帰宅してから毎日テレビで確認した。東日本大震災の行方不明者の数は月ごと少しずつ減っていたが、来未は福島のいわき市でカウントされているのか、その他でカウントされているのか分からなかった。その他の数はずっと変わらなかった。

見つかれば知らせてくるはずだ、と春利は呟いた。急に悲しみが胸の奥からこみ上げてきた。そうしたことをいくどとなく繰り返した。

春利は、父に会いたいと思った。もしかしたら、とネットで追ってみたが、中国では規制で、ツイッターやフェイスブックは、開くことが出来なかった。何か方法はないものかと、土曜日の朝から検索し続けた。

すると、中国にいても、Facebook、twitter、Youtube等を見ることができる! というサーバーが見つかった。
そのサーバー経由で、中国からでも高速通信が可能でしかも無料だという。

さっそくアクセスして設定してみた。

つながった。ツイッターだと本名は使わないだろうが、日本ではフェイスブックよりは、ツイッターの方が普及しているだろう。仮にやっていても特定は困難だと思ったが、一応本名の桑田荘太からやってみた。考えられるさまざまな言葉を次つぎに入力してみたが、該当するものは見つからなかった。

そもそも登録していないかもしれないが、とにかく調べつくしてみようと思った。今度は、フェイスブックに行った。

桑田荘太と入力する指先がふるえた。

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2014/02/08

シャンハイの秋

桑田荘太でも、ひらがな、カタカナでもなかった。

やはり、フェイスブックにも登録していなかった。しかし、60過ぎていてもネットでブログをやっている人もいるし、ネットビジネスや通信関連の仕事をやっている人だっている。父親もそのようであってくれたら見つけやすい。そうあってほしい、と春利は思う。

5歳のとき両親が離婚したと言っても、春利にとってはたった一人の父親だった。母親が亡くなってしまった今では、存命ならば、一番の近親者だ。春利の記憶の中では鮮明なものはなかったが、父にぶたれたり叱られた記憶は皆無で、むしろ暖かい人のように思われる。

やれるだけやってみよう、と春利は思う。それは、お金を払って探偵・興信所のような所へ依頼して捜してもらう方法もあるが、もう少し自分でやってみようと思った。

勤務の合間を見てつづける決心だった。そう決まると、先ずフェイスブックに登録しておくことにした。桑田荘太がもしネット上で春利のことを検索したとしても、ハンドルネームとかニックネームでは探し当てることは難しい。特定が出来ない。フェイスブックだと本名登録が建前になっているから、同姓同名があったとしても絞り込むことが出来る。中国にいると日本国内より規制がかかるが、いざとなれば日本に行くことも出来るし、日本国内の誰かに頼むことも出来る。

時計を見ると、午後1時になるところだった。翌日が休みだと思うと気持ちは救われた。

「よし、昼を食べに出よう」春利は立ち上がり窓外に目をやった。近くの高層マンションの窓が陽光を反射して眩しかった。夕飯は食材を買ってきて家で作ろうと思う。

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2014/02/11

フェイスブック

今年も、もう12月になっていた。勤務していたときも早かったが、辞めて家にいるようになってからも新たな月を迎えるのは早かった。

桑田は、パンと牛乳と野菜で朝食を済ませると、いつものようにパソコンを開いた。

長岡謙介。迷惑メールが並ぶ中に記憶にある名前があった。2月初旬にかつての神学部の仲間に会ったとき電話番号とメールアドレスを回し書きして主催者がコピーして渡してくれた。

「今度、僕はフェイスブックに登録したから良かったら君も始めないか」

長岡は自衛隊を途中でやめ桑田と一緒に受験した。桑田より2つ年上だったが、小柄で童顔、優しい心の持ち主だった。互いに多くはしゃべらなかったが、気持ちが通じていたのだと思う。

せっかく言ってきたのだから登録しようと桑田は思った。フェイスブックについて改めて検索した。
ハーバード大学の学生が始め、日本語版は2008年に公開された。実名登録制だと個人情報を知られたくない人はやらないかもしれない。以前、春利のことが気になって検索してみたが、見つからなかったことを思い出した。

実名登録だから不本意なトラブルが起きることも考えられた。フェイスブックの登録画面を見てから、そんな時はすぐ退会できるか検索してみた。パソコンから登録を解除して日本語版のアカウントを完全削除する方法があった。

登録画面に戻った。と、パソコンが急に鳴り出した。スカイプだ。すぐにそばの台の上からヘッドフォンを取ってきた。あわてると、なかなかパソコンの側面の穴に挿し込めなかった。

「サト子です」ヘッドフォンから声だけが飛び込んできた。ビデオ通話は選ばなかったのだろう。

「ハイ、ハロー!」桑田は半ば笑いながら応えた。2011年12月3日。桑田は壁にかかったカレンダーに目をやった。そうだ、フロリダは夜、明日は土曜でサト子は仕事が休みなんだ。

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2014/02/11

フェイスブック

「元気そうね」

「まあね。なんとかやってますよ。それで、あの、アイは?」

「うん、元気よ。今、この下にいる。アイ!」

「じゃあ、カメラをオンにして見せてよ。こちらの映像はそちらに映っていると思うけど、そちらは入れてないでしょ」

「ちょっと待って、今やってみるから」

「それだと、天井が映っているよ」

「このカメラ、うまく固定しないのよね」

「そうか、僕のは内蔵されてるけど、それは外付けなんだね。あっ、今映ったけど、それだと首から下しか映っていないよ」移動するカメラにサト子の半そで姿が見えた。そうか、彼女のいるとこは沖縄より少し南だったから、冬でも暖かだったんだ。

「そちらは寒いでしょう」画面に納まったサト子の顔が少し緊張している。サト子の郷里は岩手だったから寒さは知っているだろう。

「寒いよ。この格好見れば分かるでしょう」桑田は室内なのにガスストーブを消し、15年も前に買った黄色のジャンパーを着ている。エアコンの風は嫌いだし、電気量もかさむのでコタツのみで、出来るだけほかのものは点けないようにしている。

サト子は何か言いたげだったが、黙って画面を眺めている。

「それで、アイは?」

「アイ! 桑田さんが会いたいんだって」サト子が足元からラグドールを腕に抱えてパソコンの前においた。

「アイ!」桑田は呼んでから、そうかヘッドフォンを当てないと聞こえないんだ、と思う。サト子のパソコンはイヤフォンなしでも聞こえるはずだけど、桑田の声が外に出ない方が良いのかもしれない。ロバートはまだいるのかもしれない。土日もパソコンの習得で出かけていると言っていたが。

「もうずいぶん大きいじゃない」
豊かなヘアで被われたアイは、ぼんやりしたブルーアイを横へ向けたまま下へ降りようとしてサト子に戻されている。

「そうよ、もう不妊手術もしたし」

「もうしたんだ」

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2014/02/15

フェイスブック

そうか、この前話してから、もう4か月以上たっている。

「獣医さんに相談したら、メス猫の場合、生後3から9ヶ月と幅があるけど、予約の都合もあって」

発情期のことを言っているのだろう。特に2月生まれのメス猫は注意が必要だと読んだことがある。早ければ生後3ヶ月とか。メス猫だから手術も大変だったろう。

「アイは、何月生まれだったの?」

「5月生まれで、11月の初めにしたのよ。もう、大丈夫みたい」

サト子が頭を撫でると、スルッと抜けて下へ飛び降り画面から見えなくなった。

「アイは、いつもこんなよ。犬の方がかわいいよ」以前犬を飼っていて、もう亡くなったとサト子が言っていたのを思い出す。

「いつも家にいるわけではないから、ちょっと距離があるのかな。ロバートはどうなの?」

「来る前は、ロバートの方が飼いたいって言ってたのに、みんな私にやらせて」

「それで、トイレのしつけなんかも、もう大丈夫?」

「あれ、来たときはもうしつけられていたわ」

「それは良かったね。で、餌の方はいっぱい食べる?」

「一つのものしか食べないのよ、キャットフードの。連れて来る前に食べていたものしか」

「もう少し慣れてくれば食べるんじゃないかな」

サト子の顔が画面から外れ腕だけが映っている。彼女も生まれ故郷の岩手にいたら、親族は大丈夫だったとしても、東日本大震災の話題が話に出て来ただろうが、フロリダに住み職場環境もアメリカ人の中だから、毎日震災関連のニュースが流れる日本とは違うんだと桑田は思う。フェイスブックの登録が済んでいなかったことを思い出す。

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2014/02/19

別の空間

2012年。2月も半ばを過ぎ、ミナは、春期休暇に入っていた。休暇に入ったと言っても、生徒の学期末試験の採点に追われていた。非常勤講師と言っても、ラテン語の方は生徒数も少なかったが、英語購読は生徒数も多いため採点作業で目の痛みを覚えた。

ミナは採点が済んだら生まれ育った両親のいる東京の家へ顔を出そうと思っているが、5月になれば33歳になるため、結婚のことで何か言われそうで、いくぶん気重でもあった。それは、面と向かって言わないかもしれないが、両親ともそのことを気にしていないと言えば嘘になるだろう。

2月もあと数日になったとき、ミナはようやく採点結果を大学へ提出できた。専任講師と比べれば収入は少ないので多くの非常勤は複数の大学を掛け持ちして生活していたが、ミナは英語の大学受験用参考書を2冊出していて、それが意外と売れていたため、当面生活の方は困らなかった。

一番長い休みでもあるし、大学受験の予備校で教えたこともあったが、もう少し自分の時間が欲しいと思い、予備校からの依頼も断っていたミナの関心は異性ではなく、異星人や異次元、瞬間移動、時空の穴といった世界だった。

その思いが特に強くなったのは、ネットで月の裏側の映像を観てからだった。ミナが生れる前に行ったアポロが撮ったビデオに映っていたのは、幅3370m、高さ500mもある葉巻状と言われる宇宙船。宇宙飛行士や関係者や政府首脳陣だけが知ったトップシークレット。長いこと秘匿されていた現実が徐々にリークされるようになった。

ミナは、あの映像をいくども繰り返し観た。人によっては気持ちが悪いと言って観ないかもしれない。巨大な宇宙船内の操縦席と思われる所にいた「モナ・リザ」と宇宙飛行士により名付けられた女性。額に何か印があり6本指だと言われても、黒髪でどこか日本人女性に似た容貌。異星人だと言われても、身内のような存在に思われた。人間に似ていて、エイリアンだと言われても信じられなかった。「モナ・リザ」は、何かを訴えているように思われた。

英語をそのまま訳せば、15億年前ということだった。月面ということもあるのだろうが、とてもきれいな状態で保たれていた。

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2014/02/21

別の空間

ミナがあの不思議な体験をした公園へ行ったのは、3月になった日の朝だった。

誰かいれば帰ってこようと思っていたが、犬の散歩に来ていた中年女性はミナと入れ替わりに出て行った。まだ子供たちの春休みには間があったし、その時間、滑り台や砂場や遊具にも幼児連れの親子はいなかった。常緑樹の下のベンチにも人の姿はなかった。

ベンチに座ったミナは、桜の古木を見上げた。蕾はもう少しで開きそうだった。

夏のあの日、ミナの眼前に何か鳥居のような光の窓が現れた。あの時はほんとうに不思議だった。しかし、何も予感がなかったわけではなかった。体外離脱の練習を始めたこと自体、自ら望んでいたことだった。5歳のときに初めて見た光る物体のことをふと思い出すことがあった。それから見たあのUFOとエイリアン。ふだん見えている世界のほかに、別の空間がある。その世界をミナはもっと知りたいと思った。

ミナ静かに呼吸し、爪先から身体の上へと意識して力を抜いて行った。頭まで行った時、あの夏のときと同じように前方に鳥居のような光の窓が現れた。ミナは光の窓に歩み寄った。

ミナは身体が上空へと昇って行くのを感じた。

「ここは?」ミナには「杜」という言葉が浮かんできた。山というのではなかった。大きな神社。しかし出雲大社ではなかった。

「どこの神社だろう・・」

「ここは、諏訪湖周辺にある諏訪大社です」

「えっ!」いつ現れたのか、ミナのそばに二人の女性がいた。

諏訪大社? ミナは古い神社であることは知っていたが、どうしてここへ来たのか、そしてどうして二人の女性が突然現れたのか、と。

「あの、わたしは来未」

「わたしは春海」

「私は、ミナと言います」

「私たちは、地震による大津波で」

春海の言葉がミナに伝わった。互いに口は動いていなかったが、言おうとすることは伝わった。

「地震て、あの東日本大震災?」

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2014/02/23

別の空間

「ええ。わたしたち二人は、あのとき、福島の海に近いところに居たんです」

「あの大地震の津波・・」

「そうです。あの、津波にさらわれて」ミナは言葉がやってきた来未の方を見た。

「じゃあ、あの津波で・・」

「そうです。わたしたちは、この世界へやって来たのです」春海の言葉だった。

その時ミナは、そのままこの世界にいて良いものか、戻れなくなったらどうしよう、という意識でいっぱいになった。

「私は、この辺で」ミナはそう言うのが精いっぱいだった。

次の瞬間、ミナは公園のベンチにいた。とても悪いことをしたような気持だった。茶色の馬の遊具に幼児を乗せようと若い母親が抱き上げていた。ミナからは馬は横を向いて設置されていたから横向きだった。が、その時幼児がミナの方を向いた。

ミナは、ぼんやり見ていたが、男の子がまだ見ているので、軽く手を振った。

気づいた母親もミナの方を向いた。ミナが頭を下げると、母親の顔に笑みが浮かんだ。どこかにあどけなさが残っていた。

ミナは立ち上がり公園を後にした。あの二人の女性は、東日本大震災の津波にのまれて亡くなったんだ。私はその人たちに出会った。私は、どの空間に行ったのだろう。分からない。ミナはそうつぶやき、かぶりを振った。

立ち止り、自動販売機で小サイズのペットボトルを買った。冷たい緑茶が口内に流れ込んだ時、いくぶん気持ちが落ち着いた。あの二人は津波で亡くなった。エイリアンが夜中に突然フィンランドの若者の家にやってきたという話を思い出した。小さなグレイの種のようなエイリアンだったらしい。

スマートフォンを少し大きくしたような物に未来と過去を映し出して見せたという。その時見た未来の災難がその後その通りになったという。彼らエイリアンには、時間という概念がない。現在・過去・未来は同じ一点にあると、フリーエネルギーの日本人研究者が言っていた。

彼らなら、東日本大震災と大津波が起きることを知っていたに違いない。

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2014/02/25

父からのメール

春利が帰国したのは、2月中旬過ぎだった。日本だと年末から年明けの正月が会社も休みになるところが多いが、中国は違うことを春利は上海に転勤して初めて知った。中国では太陰暦で1月1日を祝う。これが中国の「春節」で、毎年日付が異なるというのだった。その年、中国本土は2月22日から28日が春節だった。

ほかの会社が休みだから、それに合わせて休まざるを得ない、と宮里上海支店長から改めて聞いたのは、12月になってからだった。

12月31日と明けて1日はたまたま土日だったので、春利は公寓のテレビで日本の紅白や歌番組を観たが、2日からは通常通り出勤した。

春節の休みに入ると通りからは爆竹の音が聞こえた。

春利は中山公園駅からホンチャオに行き、先に都内に住んでいる叔母の家に顔を出そうと羽田行きの便に乗った。

隣りに春利と同年位の男女が並んで座った。

男の方が、上海からかと中国語で春利に訊いてきた。そうだというと、二人でディズニーランドへ行くのだと笑顔を浮かべた。それは良いね、と言うと、ディズニーランドへは行ったことがあるかと今度は彼女が訊いた。

だいぶ前に、と言うと、私たちは初めての日本です、と。春利は頷いただけで言葉にはならなかった。

春利が日本人で、中国語を話せそうだと思ったのだろうか。来未とはディズニーランドへ行ったことがなかったと春利は思った。上海へ行って、もう一年たったんだ。

窓の向こうは良く晴れていた。


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