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2014年10月

2014/10/03

帰 国

桑田荘太が春利からの改まった内容のメールを読んだのは12月の半ばだった。

不思議なもので、春利と連絡がつくようになってから、フロリダにいる砂田サト子からは、スカイプも一般電話もメールもまったく入らなくなった。もとより桑田の方から連絡を取ったわけでもなく、パートナーのロバートや不妊手術を終えたラグドールのアイも元気でやっていてくれれば、どうということはなかったが、ぱったりと途絶えると病気にでもなったのかと気にかかった。

2度ほど「その後元気ですか?」とメールしたが、返事はなかった。以前、ジャンクが多いから、見ないわよ、と言っていたことを思い出した。何らかのストレスを抱え、いつもサト子の方から何か言ってきたが、訊いてみるとロバートがいない時に限っていた。こちらから連絡して、ロバートに怪しまれるようなこともしたくなかったから、それでいいんだと内心で呟いた。

春利は、現在の仕事を年明けの2月一杯で辞め、日本へ戻り、ネットを使った仕事をやりたいと言ってきた。息子なんだから、春利が良ければ桑田の家に住んだって良いと思った。桑田は、神学という特殊な学部を出たこともあって、ずいぶん仕事を変えた。春利の場合、国立の電気工学部に現役で入学して留年もしないで卒業し、就職してこれまでやって来た。ここで辞めるのはもったいない気もするが、同時に入社した彼女を震災で失い、大きな痛手を負ったに違いないと思う。

愛する人の死がどんなに人の心にダメージを与えるかは、桑田自身が良く知っている。桑田荘太が5歳のときに駄菓子屋で突然倒れた実母。店の土間にうずくまったまま起き上がらなかったことを思い出す。しばらくして店のおばさんは小さな体に母を背負って坂道を上って行った。昨今なら、そのまま寝かしておいて救急車を呼ぶと思うが、当時の田舎のことで救急車はなかったし、自家用車を持っている家も記憶になかった。村の診療所の医師も自転車で往診にやって来たのだろうか記憶にないが、母は以来臥したきりになってしまった。3年近く会話はまったく出来なかった。

桑田が小3になって起き上がるようになったが、半身まひの状態だった。2度目に倒れたら危ないと医師から言われていたが、その通りになってしまった。小3の秋、授業中に担任の女性教師に呼ばれ、すぐ家に帰るように言われた。不安でどうしたら良いか分からないまま、1時間近くもかかる道を走るように家へ向かった。途中で兄が後から来て抜いて行った。

長女に促され、枕元で「かあちゃん!」と呼んだ。2度目に呼んだ時、母の瞼がわずかに開き、スーっと一筋の涙が頬を伝った。それが最後だった。

To Be Continued

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2014/10/07

帰国

12月も残すところ後3日だった。土日は休みだが、31日の月曜は普通に仕事になる。新年は3日まで休みだから、年末年始に帰国して父と話そうかと思った。だが、2月いっぱいで仕事を辞めるのなら、交通費もかかることだし、帰らないでそのための準備をしなくてはいけない。

ずるいと思われるかもしれないが、会社には年明けに支店長に話そうと春利は思う。その結果、引継ぎがあるから3月まで延ばせないかと言われたら、譲歩しようと思う。どちらにせよ、それ以上我慢して続けるのはやめよう。

31日、世紀大道駅に近い勤務先のビルから数分の所にある中華料理店で夕食をすませた春利は、いつものように上海地下鉄2号線で中山公園駅に着いた。中山公園までは歩いて1分くらいだった。このシーズンの開園時間は朝6時なので行くときは開いていた公園も閉まっていたが、 公園入り口付近の広場には若者たちの姿があった。冬の公園だが、解放していればそれなりに中に入る人がいるだろう。その日の春利もそうした気持ちだった。

公園内のベンチにいれば、来未がやって来るだろうか。いや、もう、戻っては来ない・・。

公寓に着き、エレベーターに乗った。15Fまで誰も乗って来なかった。茶褐色に塗られた金属製のドアの前に立ち、バッグからキーを取り出した。

手を洗いうがいをした。日本の方が空気がきれいだった。 テーブルに携帯を置き、着替えた。ノートパソコンを開き、ボタンを押した。

早乙女ミナからメールが入っていた。1か月以上メールのやり取りが途絶えていた。

「沢さん、その後私も忙しくしていて、連絡しなかったけれど、何か悩んでいるのでは? まもなく新幹線をおりるところです・・」

To Be Continued

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2014/10/10

帰国

そうか、早乙女さんは武蔵野の両親の下へ帰るところだったんだ。

ミナからのメールを読んだ春利は、やはり彼女にはリモートビューイングの能力があることを確信した。僕の心の内まで読みとることが出来る。それに、エイリアンに拉致されたらしいというミナの生徒が、アメリカ留学から戻った精神科医に催眠を試みてもらったところ、彼らの乗り物に乗せられたが、母船とのやり取りで何もしないで戻されていたことが分かったという。それを知って春利は胸をなでおろした。

春利が返信メールを書こうとした時、パソコンが唸りだした。急いで側のヘッドフォンを取り出して挿し込み耳に持っていった。父荘太の顔が画面に映しだされた。

「年末年始は戻らないのかい?」

「うん、メールしようと思っていたんだけど、会社にはまだ言ってないんだけど、2月いっぱいで辞めて日本へ戻るんだと、交通費ももったいないから。準備もしないといけないし」

「いろいろと忙しいね。私は今まで何もしてあげられなかったから。こちらへ戻ったら、ここに住んでも良いんだよ」

「ありがとう父さん。上海支店長に話して、正式に決まったらまた連絡するから」

「私の出来る範囲で、出来るだけのことはするから」

「ありがとう。その後どうするか。僕なりに考えているから」
すっかり薄くなった白髪頭の父が頷く顔を見て、心配かけてはいけないと春利は思う。

そうだ、早乙女さんに返事を送らないと。

To Be Continued

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2014/10/16

帰国

年明けの4日、営業から世紀大道駅に近いビルに戻った春利は、ちょっと話を聞いてもらいたいと声をかけ、宮里に従って支店長室に入った。

「支店長すみません。2月いっぱいで、会社辞めさせてもらいたいんですが」
宮里支店長が席に着いた時、春利は半ば手を差し入れている背広の左ポケットから白い封筒を取りだして言った。

「それはまた急だね。まあ、そこへ掛けて・・。何かあったのかね?」

「支店長にはいろいろとお世話になりましたが、ちょっと、上海で働く気がなくなってしまったので、自分に合ったことをして日本で出直そうと思って」

「あの、石橋君のこともあったしね」

「ええ・・」春利はふいに込み上げてきた熱いものをどうすることも出来なかった。

「ああ、ふれない方が良かったかな。悪いことをしたね」

「いえ」春利は右手を眼もとへやってこらえた。

「吉田沙希君も昨年いっぱいで辞めてしまったし、沢君のような有能な人が辞めてしまえば、困ったことになるな」

「名古屋の吉田さん辞めたんですか?」

「ああ。誰かから連絡が来なかったかね。彼女は・・」

「ええ、名古屋では入社が同期ですし、社内では来未と一番親しい仲だったと・・」

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2014/10/20

帰国

春利の希望は結果としてそのまま受け入れられた。宮里上海支店長は、名古屋の部長、それに春利を上海に送ることで何かとサポートしてくれた安藤課長と電話でやり取りしたようだった。入社以来営業実績も残し、会社の内外でも人望があったから、「ほんとうはここで5年はいてもらいたかった」と宮里から言われた。

「沢さん、今月で会社辞めるんですって?」
ハンドルを握る張 虹(チャン ホン)が助手席にいる春利に流暢な発音で言った。語学の才能が抜群なのは認めるが、上海生まれで道路事情にも詳しい彼女が運転を買って出た。

「支店長から聞きましたか」

「はい」

「張 虹さんには、ほんとうにお世話になりました。おかげで、中国語もだいぶ話せるようになったし、これからの人生にも役立つと思います」

「それは良かったですね。役立ててください。それで、これから、日本で何かやりますか?」

「ええ、予定していることもあります。中国語も役立つかもしれません」

「うまくいくと良いですね。私も今年の夏に結婚する予定です」

「えっ、それはおめでとうございます。相手の方は上海の・・」

「いえ、アメリカに留学していたときに出会った彼で、アメリカ人のメディカルドクターです」

「お医者さんですか。それは良いですね。じゃあ、もしかしてアメリカへ?」

「はい、行くようになると思います。あっ、ここを右へ曲がらなくては・・」

「すみません。話しかけない方が良いかな」

「いえ、大丈夫。もう少しですね。あの有限公司は・・」

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2014/10/23

帰国

会社から帰ると室内の荷物をまとめる作業に追われる春利だったが、住む家を見に帰国したのは2月23日の土曜だった。

会社は土日が休みだから、続けて年休を月末までもらった。2月は28日までだから焦りもあった。月末までに、上海中山公園に借りている公寓の荷物を日本に送りたかった。父の所に荷物を送り、一人で住みたければその後に落ち着いてからすればいいと言ってくれたが、独立したいという思いが強かった。それを察したのか、父が賃貸の団地が希望する横浜市内にあると知らせてきた。

横浜西口で父と待合せて不動産屋へ行った。春利より少し若いだろうか、宅建主任の社員がすぐに車で案内してくれた。
「ここだと、地下鉄駅にも比較的近いですし、中古と言ってもリフォームされていてきれいですよ」車を降りると社員は指さした。
団地の棟が並んでいる敷地内を父と並んで社員に従った。

「2階だと良いね」階段を上がりながら父。
ドアを開けて中へ入った。何も置いてないから広く感じた。春利は母といた団地の部屋を思い出した。2LDKで明るいし、ここで良い。時間の猶予もないが、現在の春利にとっては充分だった。貯金もあるし、何とかなるだろう。

不動産に戻り、さっそく父の住所で契約書類にサインした。

「敷金とか、父さんが払ってあげたかったが・・」

「いや、そのつもりでいたから。今月は28日で短いから、向こうの荷物も帰ってすぐ手配しないと」
名古屋の安藤課長や部長、それに後輩の佐野にはそれが済んでから挨拶に行こうと思う。

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2014/10/24

帰国

荷造りしてみると、思ったより横浜へ送る荷物は少なかった。ソファやテーブルなど、入居する前に公寓に設備されていた家具類が空間を占拠していたのだ。

依頼した業者が荷物を運び出した日の昼に、春利は地下鉄中山公園駅から上海浦東国際空港へ向かった。上海の地下鉄に乗るのもこれが最後かもしれないと思い、周囲の中国人に目をやった。だいぶ慣れはしたもののやはり日本が良いと思う。

飛行機は予定通りの出発だった。台風シーズンだとか何かのトラブルが発生すると大幅に遅れることがあるので、アナウンスやボードを見てほっとした。

離陸した機内からは雲かスモッグかが覆っている窓外に目をやる。日本語の話し声が聞こえるかと思うと中国語の男の声がする。部屋に荷物がつく前に名古屋に挨拶に行こうと思う。安藤課長、部長、それに後輩の佐野の顔が浮かぶ。

そうだ、吉田沙希さんは去年で辞めたんだ。辞める前に、一度会っておきたかった。僕と来未との関係とは違う、同性同士の別の会話や世界があったのだろう。ああ、それにしても、来未は、僕を置いて旅立ってしまったのだ。何という不条理、めぐりあわせなんだ。

あれから、まもなく2年になるんだ。上海中山公園に現れた来未と友達だったという僕の知らなかった春海さん。あれは、どういうことなんだ。いったん死んだ人間が現れる。夢だったとしたら、僕の知らない春海さんはどうして現れたんだ。そう、それを教えてくれたのは、早乙女さん。

過去や未来、遠隔地の世界が見える、リモートビューイングの能力が彼女にはある。・・

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2014/10/27

世界の向こう

帰国して新居となる横浜の団地に着いた春利は、国内のスマホを購入してすぐに部屋で使うインターネットの手配をした。上海から送った布団が届くまで夜は父の所に寝泊まりを依頼して、朝になると名古屋支店に挨拶に行った。

「8年間お世話になりました」春利は深々と頭を下げた。

「沢君が辞めるのは、正直言ってとても残念だよ。部長は急用で出かけているが、君にはもっと上海でやってもらいたかったと言っていたよ」安藤課長は真顔で言った。

「先輩、マジで辞めちゃうんですね。もっといてほしかったですよ」
帰りの新幹線の車内で、さびしそうに言った佐野の顔が思い出された。自分でも、こんな風になるなんて予測がつかなかったが、前を向いて生きて行くんだ、と春利は自らに言い聞かせた。

帰国して8日目に上海から送った荷物が届いた。父がこれで良かったらと使ってない食器類をくれた。

駅で新聞を買い、舎内に置かれていた無料のアルバイトニュースもバッグに入れて持ち帰った。スマホで検索していたが、直接ハローワークへ行ってみようとも思った。いずれにしても会社勤めはやりたくなかった。家で、団地の子供たちを募集してちょっとした学習塾とか家庭教師をやっても良いと思った。大学生のときに経験したが、小中学生に教えることがきらいではなかった。時期的に塾講師の募集も検索画面にヒットした。

団地には光回線も来ているというから、電話が引かれたら自分に出来そうなネットビジネスの準備も始めようと思う。VDSL方式で途中から室内の電話線に変換になるが、上海の公寓よりも速度は速いかもしれない。

そうした準備に追われていた時、スマホにメールが入った。ミナからだった。春休みに入るから、時間が取れたらどこかで話さないかと言ってきた。武蔵野の生家にも帰省するつもりかもしれない。

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2014/10/31

世界の向こう

春休みには2月半ば過ぎから入っていたが、ミナはいつものように採点に追われていたので、上海から帰国した春利にメールを送ったのは3月に入って一週間ほどたってからだった。休み中に一度は武蔵野の両親のところに顔を出そうとは思ったが、月末頃にと漠然と思っていた。5月になれば34歳になる。

春利からは、もう少し落ち着いたらと返信があり、気にかかっている生徒のカナと会う約束をした。

午後2時、地下鉄鞍馬口駅で待合せたミナと生徒の渋江カナは、鞍馬口通りを歩いて賀茂川に出た。上流へと視線を送ると、凹凸の少ない北山の稜線が見える。この年の桜は例年より早く3月初旬から始まっていた。両岸のソメイヨシノは正にシーズン到来を告げている。ミナはカナの方にちらっと眼をやる。すぐ側の出雲路橋を渡れば下鴨神社へと道は続いている。
賀茂川に架かる出雲路橋からは、東に比叡山、南東に大文字山などを望むことができる。夏には五山の送り火が見られる名所でもある。

「カナさんが彼らの空飛ぶ乗り物から降ろされたのは、このあたり?」

「あの辺だったかと・・」カナは橋から数百メートル上流の対岸を指さして言った。

賀茂川沿いの遊歩道は広く、追い抜いて行くランナーがいるかと思えば、向こうから走ってくる人も見える。自転車でやって来る若者もいる。対岸を下っている複数の高齢者の姿がある。

二人は橋を渡らずに、川沿いに上流へと歩いていた。アオサギが川の上空を飛んでいく。川の両側に咲いている桜が妖しい興奮を喚起する。

10分ほどで北大路橋に着いた。もっと歩いてもいいとカナの目がいっている。対岸の紅しだれ桜が咲き始めている。
台風シーズンには水嵩が増して激流となるが、目の前の賀茂川は上流に行くにしたがって中州が多くなり、川に並べられた飛び石で対岸に渡ることも出来る。流量は少なくても川幅は広い。河川敷の草の上にヌートリアが警戒顔で辺りをうかがっている。二人が歩く川沿いの道幅も広い。

北山大橋、上賀茂橋と歩を進めると、群れを成しているカモや単独のシラサギに出会う。次の御薗橋と書かれた漢字を目にした時、ミナはオオサンショウウオが賀茂川の段差の所に現れたというニュースを思い出す。
 
To Be Continued

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