eye

2012/01/03

フロリダ

春利と手をつないで公園を歩いた時のことが浮かんだが、その後の成長していく姿は浮かんでこない。
2月1日生まれの春利はすでに28歳で年が明ければ29になる、と桑田は指を折って数えた。今はどこかの会社で働いているだろうか。別れてからは一度も会ったことはないが、よその子供の姿を目にする度に思い出した。

舗装されたなだらかな坂を上ってスタジアムの広い外周路に出た。幅は10メートル余りあるだろうか。東西南北にあるゲートの一つから、桑田が歩いている外周路はエレベーターの4Fの高さと同じだということが分かる。マラソンランナーの格好をした青年が追い越していく。眼下には金網で囲われた先ほどのサッカーの練習場が見える。

左手頭上には観客席の背にあたる部厚い壁が視界を圧迫するように覆っている。
両手を大きく振って歩いていた桑田は、2002 FIFAワールドカップの決勝戦が開催されたときの記念碑の前にさしかかった。日本代表がW杯初勝利を挙げた場所でもあるが、桑田は当時サッカーへの関心は薄かった。

前方に、鶴見川が、その上を横切る新横浜大橋、亀甲橋、少し靄がかかった人家が並んでいるのが見渡せる。空は青い部分が多い。

スタジアムの周囲をめぐる舗装された外周路を歩くことだけに集中しようと思う。

歩くことでエネルギーを消費して血糖値が上がらないように、両手を振って姿勢を正して歩くことで頸椎症が良くなるようにと頭の奥で思っている。

スタート地点に着いた時、12分かかったことを確認した。もう一周まわろうと歩を進める。元妻・さなえのことを思い出す。

さなえが亡くなったことを知ったのは、横浜の団地で上の階に住んでいた旦那の年賀状だった。子供同士が遊び友達だったことがきっかけで父親と親しくなった。電車の運転手をしていたが郷里が栃木だという旦那と気が合い、桑田が家を出てからも年賀状のやり取りだけはしていた。

「桑田さんに知らせて良いものか、あるいは知っているかもしれませんが」と彼が書いてきた賀状を見たのは、さなえが亡くなって2度目の新年だった。


To Be Continued

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